甲府地方裁判所 昭和28年(ワ)31号 判決
原告 矢崎喜彦
被告 株式会社山梨中央銀行
一、主 文
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金百万四千円及びこれに対する昭和二十八年三月十三日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求めその請求の原因として-、原告は昭和二十三年六月一日山梨県北巨摩郡神山村収入役に選任され同村の出納その他の会計事務を執行する独立の権限を有したものであるが同村の昭和二十七年度小学校校舎建築工事特別会計予算に充当すべき歳計現金三百五十万円を保管するため右収入役たる原告名義を以て昭和二十七年三月三十一日被告銀行韮崎支店と普通預金契約を結びこれに基き右金員の預入をなしその後預入、払戻をなした結果(その詳細は別表<省略>記載のとおりである)同年七月一日現在における預入残高は金百万四千円となつた。ところが被告は同年十二月以降再三の払戻請求にも言を左右にして応じないので原告は被告に対し右預金残金百万四千円に訴状送達の日の翌日たる昭和二十八年三月十三日から完済に至るまで商法所定年六分の割合による遅延損害金を付して支払を求めるものである。なお原告は昭和二十九年十月十日右神山村が町村合併により韮崎市に編入されるに及び同村収入役たる地位を退いたがこれによつて被告銀行に対する右預金者たる地位を失うものではなく従つて本件訴訟追行にはなんらの障碍も生じない。しかして又仮に歳計現金が本来は収入役たる原告以外の者の名義を以て預金さるべきものであつたとしてもそのことだけで原告と被告銀行との間に一旦成立した右預金契約の効力が左右さるべき謂れはない。-と述べ被告主張の抗弁事実を否認した。<立証省略>
被告訴訟代理人は本案前の弁論として主文第一項同旨の判決を求めその理由として-、原告主張の本件預金債権は原告主張に従う限り町村合併前の旧山梨県北巨摩郡神山村の歳計現金であるから本来右神山村を以て権利の主体となすべく同村収入役たる原告個人に帰属すべき謂れはない。ところが市町村長は当該市町村の財産及び営造物を管理し又その収入及び支出を命令し且つ会計を監督する権限を有する(地方自治法第百四十九条第三、四号)とともに当該市町村を統轄しこれを代表する(同法第百四十七条)のに市町村収入役は市町村長の補助機関としてその指導監督のもとに出納その他の会計事務を分掌する(同法第百五十四条、第百六十八条)にすぎず市町村の歳計現金と雖も市町村長の命令がない以上これが支出、収納をなす権限はない。従つて本件預金債権につき裁判上、裁判外において払戻の請求をなし得る権利の主体はあくまで右神山村であると同時にこれを代表すべき機関は同村村長であつて同村収入役たる原告ではない。まして原告が右預金の払戻を受けるため自己の名において訴訟を追行し得る法律上の根拠は全くない。されば本件訴は原告に当事者適格の欠缺があるものとして却下すべきである。-と述べ本案につき請求棄却の判決を求め答弁として-、原告主張事実中原告がその主張の期間前記神山村収入役たる地位にあつたこと、同村が原告主張日時町村合併により韮崎市に編入されたことは認めるがその余の事実はすべて認めない。もつとも被告銀行韮崎支店は右神山村との間において普通預金契約に基き原告主張日時原告主張の金額につき預入を受け又払戻をなしたが右預金は元来同村が地方自治法第二百八条の規定により小学校校舎建築工事費に充てる目的のため設定した特別基本財産であるが仮にそうでないとしても右同目的のためになした積立金銭であるかであつていづれにしても同村の歳計現金でないことだけは確かである。従つて右預金が同村の歳計現金であることを前提とする原告の請求は理由がない。-と述べ抗弁として-、仮に本件預金が右神山村の歳計現金であるとしても被告銀行韮崎支店長小林醇一は飯野徳一から同人の神山村に対する小学校校舎建築請負代金債権の内金百万円につき取立委任を受けていたが昭和二十七年十二月九日同村村長根岸幸雄から右預金の内金百万円を特別払戻の方法により払出して右債務の弁済に充つべきことの承諾を得たので同月中右預金の内金百万円を払出したからその預入残高は金四千円となつた。勿論右神山村村長はその補助機関たる同村収入役に独立の権限が与えられているからと謂つてそのために自ら同村の歳計現金に関する出納事務を執行する権限がないわけではないから右預金の払出は有効である。従つて原告の請求には金四千円の限度においてならともかくこれを超過する部分については応ずべき筋合がない。-と述べた。<立証省略>
三、理 由
先づ本案前の抗弁につき按じるのに原告の本件訴旨は町村合併前の旧山梨県北巨摩郡神山村の歳計現金たる預金の支払を求めると謂うにあるから原告の訴訟当事者たる適否を判断するにあたつては右預金債権の帰属主体を考察しなければならない。
原告は右預金は右神山村収入役たる原告名義を以て預入れたものであるから右収入役の地位にある原告個人が預金契約の当事者即ち預金者であり従つて預金債権の主体たるべきである旨主張する。しかしてなるほど原告が右預入当時右神山村収入役の地位にあつたことは当事者間に争がなく地方自治法第百七十条第一項、第百四十九条第三、四号等の諸規定に照せば市町村収入役は歳計現金及び物品(備品、消耗品の類)の出納及び保管並びにこれに附帯する事務を管掌しこれについては市町村長から独立した権限を有し該事務の執行上においては当該市町村を代表するものと解すべきであるから原告は神山村収入役として同村の歳計現金の出納その他の会計事務につきこれを執行する独立の権限を有し該事務の執行上同村を代表するものであつたと謂うべく従つて原告が右神山村の歳計現金に属すべき本件預金を預入れるのに同村収入役たる原告名義を以てしたのが事実だとすればそれは収入役たる原告の管掌事務の範囲に属することであり権限上当然のことであつたと謂わなければならない。ここで被告の反対論に言及すると被告は地方自治法第百四十九条によれば普通地方公共団体の長は当該普通地方公共団体の財産及び営造物を管理し(同条第三号)又その収入及び支出を命令し且つ会計を監督する(同条第四号)権限を有することが規定され更に同法第百四十七条によれば普通地方公共団体の長は当該普通地方公共団体を統轄しこれを代表することが規定されているとともに他方において同法第百六十八条によれば市町村にその長の補助機関として収入役を置くことが規定され又同法第百五十四条によれば普通地方公共団体の長はその補助機関を指揮監督することが規定されているから市町村収入役は市町村の財産である以上歳計現金と雖も市町村長の命令がない限り支出収納の権限がなく勿論事務執行上市町村を代表する権限を有すべきではない旨主張するけれども同法第百四十九条第四号と同法第百七十条第一項とを対比し同法第百六十八条、第百六十九条等の法意を併せ考えれば同法律が普通地方公共団体の会計事務につき事務処理の公正を確保するため近代会計法の原則を採用して収支の命令関係と執行機関とを分離し前者に普通地方公共団体の長を後者に出納長又は収入役を充てたことは明らかであり従つて市町村収入役はもとより被告主張のように市町村長の補助機関の一であつて(同法第百六十八条)市町村長の一般監督権(同法第百五十四条)並びに会計監督権(同法第百四十九条第四号)に服するのであるが市町村の出納その他の会計事務についてはやはり独立の執行権を有し当該事務執行上においては市町村の代表権も有するものと解さなければならないのである。それでは同法第百四十九条第三号の規定が普通公共団体の長は当該普通地方公共団体の財産及び営造物を管理するとしたのは如何と謂えばそれは叙上普通地方公共団体における収支執行の独立の原則からすれば同法第百七十条第一項但書の規定する例外の場合にあたるのであつて右に謂う財産には普通地方公共団体の歳計現金及び物品(備品、消耗品の類)を含まないと解するのが相当である。なお市町村収入役は市町村の会計事務につき収支の執行機関にすぎないから歳計現金と雖も市町村長の命令がない限り収納及び支出をなし得ないこと勿論であるが一旦命令により収納した歳計現金につき銀行その他の金融機関との間においてこれを預入れ又は払戻すことはその保管事務の範囲に属し進んで市町村の支出にわたることがない以上市町村長の命令を要するものではないと謂うべきである。要するに被告の前記主張は地方自治法の解釈を誤つた意見に基くものであつて採用に値しないのである。
しかしながら市町村収入役がその名義を以て市町村の歳計現金を預金として預入れてもそれは特段の事情がない限り市町村の機関としてなしたものとみるのが相当であるから当該預金契約の当事者はあくまでも市町村でありその代表機関において締結した右契約の効果はむしろ本人たる市町村に及び預金債権並びにこれから生じる収入は当然に市町村に帰属すると解すべきであり原告主張のように収入役個人が預金契約の当事者であり預金債権の帰属主体であると解すべき謂れはない。従つて本件預金債権の帰属主体は前記神山村であつて収入役たる原告個人ではないと謂うべく原告の前記主張はこの点において失当たるを免れない。
そうだとすれば本件預金債権を以て訴訟物とする給付訴訟において原告たる適格を有するのは右預金債権の帰属主体たる前記神山村であると解するのが普通の考方でなければならない。しかして他方右預金債権の帰属主体以外の第三者とも謂うべき原告個人が右訴訟において自己の名を以て判決を求める当事者適格を有するものと解すべき法律上の根拠は全くない。なるほど原告は右神山村収入役として右預金債権につき独立した管掌権を有するけれどもそれは前説示によつて明らかなとおり同村の会計上の執行機関として与えられた権限であり又権限の独立と謂つても同村村長の有する権限に対する関係において謂われるにすぎないから原告に右のような独立の管掌権がある一事によつて自己の名においてする訴訟追行権が当然に生じる筋合はないのである。即ち原告は右神山村が右預金債権を訴訟物とする訴訟の当事者となる場合において同村収入役として同村を代表し実際の訴訟行為をなし得るに止まるものと謂わなければならない。
いわんや右神山村が昭和二十九年十月十日町村合併により韮崎市に編入されたことは当事者間に争がなく従つて神山村なる法人格が消滅した以上原告はいかなる意味においても本件預金債権の支払を求める訴訟追行の権限はないと謂うべきである。
以上の次第で原告が本件訴につき当事者適格を有しないことは明らかであるから本件訴は本案の当否を判断するまでもなく適法な訴訟要件を欠くものとして却下する外はない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 駒田駿太郎)